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素朴な信仰心

信じる、ということは大切。誰もがそう思う。

特に人と人とが信じあう、信頼関係。これはどんな人でも大事なことであることに反論する人は(よほどひねくれ者でなければ)いないと思う。ところがここに「宗教」がからんでくると、特に「神様」を信じる信じない、「霊界」「死後の世界」を信じる、となるとこれは反論する人、冷笑する人、関係ないと切り捨てる人、さまざまであろう。

もちろん、自分は「神様」も「霊界」も信じることが大切だと思うが、一方でそういうことをばかげたことだという人もいることは理解している。むしろ歯がゆいのはそういう人に対して「証拠」を突きつけられないことだ。

最近、そういうことについて、いろんな人との会話のなかで、感じることがあった。

「神様」「霊界」に対して否定的な人の傾向はその人に自己の人生の話をきいてみると、ほとんどが「恨み」で終わってしまっていることだ。感謝や感動がまったくか、ほとんどない。まったくない人は自分の人生自体を感謝できないし、思い出したくもない。はたから聞いていればとても親から愛されているのに、本人はそれを逆に恨みにしていまっているということだ。

それがわからない、ということは見えないものに対して信じる心が育たない、ということなのだとおもう。

そういう人の心を受けとめ、励ましてあげられるようになりたい、と思う。

傲慢かもしれないが、自分は本当に親から、兄弟から、みんなから愛されてきた。
もちろん、哀しいことや苦しいこともいっぱいある。でも今はそれが感謝で捉えられるようになっている、そのこと自体が感謝になる。

ときには自分を嫌う人もいた、誤解されたこともあった、それ自体を感謝できているか、恨みにしているか。

その分岐点を分けるものは何なのだろう。きっとどんな人でもすべて感謝に分けることができる能力があるに違いない。それを信じていきたいと願う。それを信じて生きることで力を得るのだろうと・・・

なんだか漠然としているが、そう感じるこのごろ。

信仰心の出発。今日の礼拝説教のみ言を聞きながら、信仰の原点を見出した気がした。

みんなが幸せであることを願います。
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Author:kanstudies
大田区在住23年になる統一教会・大田教会の一信徒の雑感。羽田も国際化してますます大田は我が第二の故郷として世界に誇る街になってきました!

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