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肯定すること

原理は心情の神様、親なる神様を説く。としたら、全被造世界は神様の心情、親の心情から出発した。
神様は100%、ホントに100%完全な調和の世界、肯定的要素をもって私たちを創造した。

もし、神様に一点の疑いや不信(果たしてできるだろうか?)があったら創造はストップ、破壊していたに違いない。

それなのに自分のこの不信感、疑心なる心、すきあらば自分を否定してしまいたくなる自分はどこから来たのだろう?
ここで、私たちの血統は神様のものでないことに気づく。
それゆえ、堕落した血筋の私たちは不信、疑心、自分自身を疑うことにこそ人間らしさがあると考え、100%肯定的発想、生き方がアホらしく思えてくる、ということになるのだろうか。

肯定哲学がはやり、多くの人が試しているけれど、うまくいかないのではないか、というわずかな疑念が失敗につながっていく。その疑念こそ肯定哲学ではもってはいけないものなのだが、血筋が違うということはどうしようもない。

私みたいに根っから肯定哲学を疑ってかかるやつはよっぽど血筋の悪いやつに違いないと思ってしまう。

それでも、神様を知って、原理を知って、努力してみるもんだ。と思う。
人を肯定するように、するようにと生きてみたら、自分が肯定出来る様になってきた。
あるいは逆かも知れない、自分を肯定するように、と生きてみたら、人を肯定できるようになってきた、ともいえる。

祝福によって血筋が変わる、ということは、そういう心情に転換されるようになって初めて実質的な自覚ができ、神様の心情がわかる、ということなのかもしれない。

究極の肯定哲学?あるいは祝福を土台とした肯定哲学は根本的な心情転換をもたらすものになる?

話がなんだか大きくなってきた。ここらへんでやめとこう。

たぶん、一生、あるいは3代はかかる心情革命。もっとかかるかもしれないが、希望の光はみえてきたような。
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大田区在住23年になる統一教会・大田教会の一信徒の雑感。羽田も国際化してますます大田は我が第二の故郷として世界に誇る街になってきました!

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