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土曜の代々木聖地にて

午前7時30分の代々木聖地。
NHKのビルを背にしながら聖地の木の前に集い、祈る。

1週間の報告と心情整理に欠かせない祈祷の時間。そして、新しい天の気をいただき、出発する。

今朝はうっすらと東京中が白い雪で聖別されて出発した。寒い朝だったが、空は青く、澄み切っていました。
引き締まる寒さの中での聖地祈祷。その純粋な環境の中で人の心も純粋になり、神様が降りてくる貴い時間。

多くの人々に伝えたい信じることの大切さ。

寒いながらも祈祷中は後ろから暖かい日差しが差し込んで、全てに神様の愛が注がれている、そう実感した瞬間でした。

今週も宜しくお願いします。

恋愛症候群

最近、久しぶりに「恋愛症候群」を歌った。

リリースは1985年、ライブ録音で初めて聴いた。笑わせるコミックソング的な内容の最後のフレーズが「愛」をテーマに歌い上げる曲で、当時、会社の寮で初めて(たぶん1000回記念コンサートのカセットテープで聴いた)聴いて、一生懸命歌を覚えようとしたことを思い出す。

さだまさしの長い曲は、歌詞を覚えて歌うことに当時は喜びを見出していた。
おかげで、その頃の曲は大体歌詞を見ずに歌えるようになった。

今回は最後のフレーズ、「変わらぬ愛」を「真の愛」に。「あなたたに出会えて」を「アボジに出会えて」で歌い代えて、食口向けになりました。

血液型で恋愛のタイプを歌っているところなどは今でも結構ウケる。

「恋」は求めるもの、「愛」は与えるもの。
「ありったけの思いをあなたになげ続けられたら、それだけでいい。」

そのフレーズは教会に導かれたあとで、「愛は与えて忘れなさい」のみ言に通じるのだっと思った。

持ち続けてしまう自分の思い。

自分のものでないのに所有しようとする我が思いの醜さ、どうしようもなさ。

これは、まだまだ続く私の戦いなのです。



原点回帰

今週の礼拝のみ言は「出発の原点」でした。

み言と出会い、神様を受け入れたのが・・・1988年ソウルオリンピックの年、10月30日に初めてみ言を聞いた。

仕事人間だった自分は何か新しいことを始めたいと思い、新しい出会いを求めていた。

原理を聞いた自分は、その日に神様と出会い、今に至る。

初心忘れるべからず、とは傲慢になることのないよう戒める言葉だと思うが、自分もこの言葉を聞くたびに「ああそうだ」と思うことがたびたびで、それほど自分は少し油断すると、傲慢になってしまうことに気づく。

それが当たり前、のこの世界で、神様の道を行く人間は常にその反対の道を行く。
傲慢さをいかに取り除くか、本当に神様が自分に与えた自分と、自己を己以上に見せようとする傲慢さとの違いは何なのか。

本当に神様と出会えば、その分別ができるようになるのだろう、と思う。

自分の原点回帰とは、もう一度神様と出会うことだと思う。

今週も半ばすぎ、与えられたみ言を実践して今週を終わりたい。少し焦っている。

肯定すること

原理は心情の神様、親なる神様を説く。としたら、全被造世界は神様の心情、親の心情から出発した。
神様は100%、ホントに100%完全な調和の世界、肯定的要素をもって私たちを創造した。

もし、神様に一点の疑いや不信(果たしてできるだろうか?)があったら創造はストップ、破壊していたに違いない。

それなのに自分のこの不信感、疑心なる心、すきあらば自分を否定してしまいたくなる自分はどこから来たのだろう?
ここで、私たちの血統は神様のものでないことに気づく。
それゆえ、堕落した血筋の私たちは不信、疑心、自分自身を疑うことにこそ人間らしさがあると考え、100%肯定的発想、生き方がアホらしく思えてくる、ということになるのだろうか。

肯定哲学がはやり、多くの人が試しているけれど、うまくいかないのではないか、というわずかな疑念が失敗につながっていく。その疑念こそ肯定哲学ではもってはいけないものなのだが、血筋が違うということはどうしようもない。

私みたいに根っから肯定哲学を疑ってかかるやつはよっぽど血筋の悪いやつに違いないと思ってしまう。

それでも、神様を知って、原理を知って、努力してみるもんだ。と思う。
人を肯定するように、するようにと生きてみたら、自分が肯定出来る様になってきた。
あるいは逆かも知れない、自分を肯定するように、と生きてみたら、人を肯定できるようになってきた、ともいえる。

祝福によって血筋が変わる、ということは、そういう心情に転換されるようになって初めて実質的な自覚ができ、神様の心情がわかる、ということなのかもしれない。

究極の肯定哲学?あるいは祝福を土台とした肯定哲学は根本的な心情転換をもたらすものになる?

話がなんだか大きくなってきた。ここらへんでやめとこう。

たぶん、一生、あるいは3代はかかる心情革命。もっとかかるかもしれないが、希望の光はみえてきたような。

人生の贈り物

さだまさしと韓国フォーク界の大御所(だそうです)ヤン・ヒウン(양희은)のコラボの曲(2003年)

CDでこの曲の出しがヤン・ヒウンの声で始まるので、最初聞いたときはさだまさしの声ってこんなだったっけ??と驚いたことを思い出す、

しらべてみると同い年生まれ同士。日本と韓国の両フォーク界の大御所のコラボはさだファンの自分としても大いに意味を感じて、歌自体もとても魅力的な、当時の心に響いた内容だった。

なぜか、このころ、唐沢版「白い巨塔」を全作見ていたことを思い出す。この名作ドラマのことも書き出せば長くなるが、財前と里見の関係とこの歌のいうところの「人生の贈り物」~夕日を眺めてくれる、友がいれば他に望むものはない~という歌詞とのコントラストがとても印象的で、歌っていた。

長らくハングル歌詞がわからずに音だけで歌っていたが、3年前にようやく歌詞をみつけ、ハングル歌詞を今攻略中。

ハングル勉強にもなっているのです。

自分としては人生の贈り物は、妻あるいは家族だろう!と思ってしまうのですが、こういう友との出会いも人生には必要なこと、または神様からの賜物なのだろう、と思います。気のおけない夫婦、家族、友人のある人はどれほどしあわせでしょうか。

安侍日の朝に、すべての人へ。
プロフィール

kanstudies

Author:kanstudies
大田区在住23年になる統一教会・大田教会の一信徒の雑感。羽田も国際化してますます大田は我が第二の故郷として世界に誇る街になってきました!

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