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素朴な信仰心

信じる、ということは大切。誰もがそう思う。

特に人と人とが信じあう、信頼関係。これはどんな人でも大事なことであることに反論する人は(よほどひねくれ者でなければ)いないと思う。ところがここに「宗教」がからんでくると、特に「神様」を信じる信じない、「霊界」「死後の世界」を信じる、となるとこれは反論する人、冷笑する人、関係ないと切り捨てる人、さまざまであろう。

もちろん、自分は「神様」も「霊界」も信じることが大切だと思うが、一方でそういうことをばかげたことだという人もいることは理解している。むしろ歯がゆいのはそういう人に対して「証拠」を突きつけられないことだ。

最近、そういうことについて、いろんな人との会話のなかで、感じることがあった。

「神様」「霊界」に対して否定的な人の傾向はその人に自己の人生の話をきいてみると、ほとんどが「恨み」で終わってしまっていることだ。感謝や感動がまったくか、ほとんどない。まったくない人は自分の人生自体を感謝できないし、思い出したくもない。はたから聞いていればとても親から愛されているのに、本人はそれを逆に恨みにしていまっているということだ。

それがわからない、ということは見えないものに対して信じる心が育たない、ということなのだとおもう。

そういう人の心を受けとめ、励ましてあげられるようになりたい、と思う。

傲慢かもしれないが、自分は本当に親から、兄弟から、みんなから愛されてきた。
もちろん、哀しいことや苦しいこともいっぱいある。でも今はそれが感謝で捉えられるようになっている、そのこと自体が感謝になる。

ときには自分を嫌う人もいた、誤解されたこともあった、それ自体を感謝できているか、恨みにしているか。

その分岐点を分けるものは何なのだろう。きっとどんな人でもすべて感謝に分けることができる能力があるに違いない。それを信じていきたいと願う。それを信じて生きることで力を得るのだろうと・・・

なんだか漠然としているが、そう感じるこのごろ。

信仰心の出発。今日の礼拝説教のみ言を聞きながら、信仰の原点を見出した気がした。

みんなが幸せであることを願います。

我、日本の柱とならん

1月31日から毎日本門寺にお参り。今年は日蓮生誕790年。

大田区の中心(風水で云う大極)にある池上本門寺は文化的、歴史的にも大田区の中心的な存在だ。

というよりも大田区という名前よりはるか以前に、池上の地は時の池上宗仲によって1282年日蓮上人入滅の年に69,384坪(法華経の字数)を寺院として寄進した、とあるから800年近い歴史がある。

大森と蒲田をあわせて大田区と言う名前がついたのが1947年だから、これはこれで60年以上の歴史はあるが、武蔵野国・池上の名とは格が違う。池上氏はその後、今の川崎の地で、江戸時代に埋め立て事業によって土地を開拓、これを公共の田畑として提供したゆえに、人々は「義田」と呼びながら池上氏の功績を讃えた、とある。
現在川崎の「池上新田」の名前の由来はそこから来ると言う。

こうしたことを見てみれば、ここ大田区・池上と多摩川を挟んで対岸の川崎の地も歴史的な関係を感じさせる。

丸子橋あたりの両岸に「上丸子」(川崎側)、「下丸子」(大田区側)をみても多摩川をまたがって当時は一体となっていたのだろうと思う。

話がそれた。池上氏一門の徳は大田区にも、川崎側にも及んで、私たちの未来にも流れていくことを願う。

その本門寺の日蓮上人像の前に「我、日本の柱とならん」(開目抄)ではじまる三大請願が刻まれている。

ようやく本題にはいりました。この三大請願の志をいまこそ内外ともに国難と言われるこの時代に、かつて日本の国のあり方に内外ともの警鐘をならした日蓮上人の遺産として、引き継いでいきたいものだと思う。

いつかはしらねど

リバイバル聖歌 623番。
「真白き富士の嶺」でよく知られた曲。歌詞は再臨のイエスを待ち望む内容で、この曲を初めて聞いたのはおそらく17、8年前。当時の教会長が唄われたのを聞いてまずメロディが耳に残った。
その後、ずっと時々は耳にしていたような気がするが、自分が歌詞の内容と曲に興味をもったのはここ4年くらい。

教会でよく歌われる成約聖歌39番「園の歌」(これは韓国の既成教会ではよく唄われるようである)の原曲がこの623番の曲の元にもなっているという。そういわれれば音形が似ており、原曲は「Garden」というタイトルだそうな。

2008年の清平修練苑で40日間の修練会に参加したときに、自分のテーマが「クリスチャンの心情圏」を理解、実感することであり、その際テーマ曲のように毎日朝の祈祷時に口ずさんでいたのがこの623番であった。

「いつかはしらねど」・・・・再臨のイエスを待ちながら殉教していったクリスチャンの魂たちがこの歌を歌う食口をみたら、どう思うのであろうか・・・とふと考えてしまった今朝の祈祷でした。

傲慢な自己

自分は結構人を裁いている。

今朝早朝気功精誠祈祷をした後、教会で感じたこと。

人を責めてはいないが、じつは裁いている。

これは、自分がいい人と思っているだけに、結構悪質。たちが悪い。

心底人を受入れることがない。

どうも、自分の罪・堕落性とたたかうためには、天に対する精誠をゆめゆめ怠ってはいけない。

と、思った。

さあ、土曜の聖地祈祷にでかけよう。

再開雑感

昨年のブログ開設が5月27日、今回の再開が4月28日。
丁度11ヶ月ぶりの再開でした。日々是改革の名がありながら、11ヶ月の停滞とは・・・

12ヶ月にならなかったことでよし、としましょう。

11ヶ月の時間をふと、振り返ってしまいます。成長はあったのか?

文先生は、停止は死亡につながる、と言われます。

後退すらしたように思えてしまった時間もあったけど、こうして生きているところをみると、すくなくとも停止はしなかったのだ、と自らを傲慢にならぬよう戒めていきたいと思う。
時間は後戻りできないように神様がこの宇宙を創造されました。それも神様の愛であると、感謝しつつ、ブログを再開して思うこのごろです。
プロフィール

kanstudies

Author:kanstudies
大田区在住23年になる統一教会・大田教会の一信徒の雑感。羽田も国際化してますます大田は我が第二の故郷として世界に誇る街になってきました!

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